志鍼塾 塾長の石丸昌志です。ここでは、私の鍼灸に関する経歴についてお話します。

鍼灸との出会い

バッグ

当時、関西大学に通っていた19歳の私は、幼少の頃から海外に働いている方の話を聞いたり外国人とふれあったり、フィリピンで働こうとしている先輩の話を聞いたりした影響から、海外に行こうと考えました。先輩にワーキングホリデーの存在を教えてもらったことも大きく影響していると思います。

海外に行くにあたって、私はかなりの時間をアルバイトに費やしました。作業員として線路工事をしたこともありますし、焼き芋屋やガソリンスタンドなどでも働きました。特に実入りが良かったのが「おはぎの丹波屋」のバイトです。当時は夜中の時給が1,800円だったので、学生でも月50万円くらい稼ぐことができました。
おかげで私は海外で過ごすためのお金を確保できたのです。

大学を休学し、カナダ・オーストラリア・アメリカへ

関西大学は無料で休学できたので、休学届けを提出してカナダとオーストラリアにワーキングホリデーで1年ずつ滞在しました。その後、アメリカに2カ月滞在し、そのままアメリカを1周する旅に出たりして、3年間ほど海外で生活をしました。
この海外生活が私と鍼灸を出会わせてくれました。

当時、私はカナダのバンクーバーにあるリーガルショップ(靴や革製品を扱うお店)の店員として働いていました。そこは日本人観光客も訪れるショップで、私は日本人の対応も任されていました。そこへアメリカから遊びに来た鍼灸師の娘さんが、弟と一緒に来店したのです。同じ日本人ということで、次の日にご飯に行くことになりました。そこで、その方のお父さんが関東で鍼灸師をやっていると教えてもらい、それが鍼灸と出会うきっかけとなりました。

帰国後、夏休み期間だけですが、娘さんとその弟さんと仲良くなった縁のおかげで、鍼灸の先生の離れに住ませてもらいながらアルバイト生活を送りました。もともと叔父の影響で医療関係に興味があったこともあり、鍼灸の先生との話はとても有意義な時間でした。鍼灸の先生は合気道や杖道、スペイン語、英語だけではなく、ギターやハーモニカまで嗜んでいることに驚かされたのをよく覚えています。

ハングリー精神が磨かれた東京生活

東京

日本に戻って26歳で大学を卒業した後、ヒッチハイクで東京へ向かいました。海外で生活した時間だけ周囲よりも遅れて卒業したので、周りの友達が社会人になってしばらく経っていて、価値観というか自分とは違う世界に行ってしまったような気がしたのです。

地元の大阪は居心地よかったのですが、海外に行った後は少し窮屈に感じるようになり、鍼灸を知るきっかけになった鍼灸師の先生が東京にいたこともあって、新しい何かとの出会いを求めて東京に行くことを決意しました。

ただ、海外生活で資金は底をついていたので、先輩に頼み込んで20万円を借り、画用紙に「東京」と書いてトラックをヒッチハイクで3回乗り継いで上京しました。家族も親戚も知り合いなど頼る人のいない中、さらにはマイナス20万円のハンデを負った状態で私の東京生活がスタートしました。

東京に来てから業界のことを知りたいと、カイロプラクティックの治療院で1年半くらい働きました。結構ブラックなところで大変でしたが、それよりも治らない患者が多いことが気になりました。そして、医療への興味が強かった私は本格的に鍼灸を勉強したいと思うようになり、鍼灸科のある専門学校に入学しました。

鍼灸が優れていると確信したマッサージ店勤務時代

マッサージ

昼間は働き、夜間は鍼灸の専門学校に通う生活を3年続け、31歳で鍼灸科を卒業しました。在学中は月に1度開催される勉強会に参加していましたが、東洋医学について教えてくれる人は少なく、苦労しました。本当に専門的な質問は年に1回開催される京都の勉強会まで聞くことができなかったので、自分で試行錯誤したり専門学校の先生に聞いたりしたからこそ、今があると思っています。

そして、鍼灸の免許を取った後、私は鍼治療を行っている完全歩合制のマッサージ屋で働きはじめました。当時は今よりも鍼灸だけで食べていける人は少なく、求人を出している鍼灸院は日本で2、3店舗あるかどうかで、就職口がほとんどなかったのです。また、鍼灸整骨院のような本格的な鍼灸を学べない場所に就職するのが嫌だったのも理由のひとつです。とはいえ、就職した場所もマッサージが専門だったので、鍼灸を希望する方は1年間に2人いればいい方でした。

私の1カ月目の給料は完全歩合制で8万円。2カ月目が12万円で、学生時代の貯金がなくなる前に「もうやめようか」とも思ったのですが、鍼灸だったら治るんじゃないかと感じていたので、「効果を感じなかったら私の給料で全額返金する」と頼みこんで来店するお客様に鍼灸をやらせてもらいました。

すると症状が改善する方が目に見えて増えました。おかげで3カ月目の給料が22万円、4カ月目の給料が44万円、5カ月目で55万円と順調に上がっていきました。1年も経つと60万円を稼ぎ出し、当時7店舗あったグループの中で売上がトップになったのです。
マッサージよりも鍼灸の方が優れていると確信した瞬間でした。

症状を治せるからこその日本一

石丸昌志

マッサージ屋で症状がある人を鍼灸で9割ほど治せたことで自信がついた私は、「マンションの一室でやろうか」とマンションの一室を借り、ベッド2台の設備で開業しました。

この町田駅近くのお店を2年くらい続けるとだんだんと患者が増えていき、ベッド2台だと手狭になりました。そこで、隣の各駅停車駅の玉川学園前駅に移転してベッドを6台に増やしてより多くの患者を治療できる体制を整えました。

ここでは5年半くらい運営し、こちらも結構患者さんでいっぱいになったところで、今現在の町田駅から2分の場所に移りました。5階の1フロアでベッド7台、その後1年半くらい経ったときに4階も借り、現在は2フロアベッド16台で鍼灸院を運営しています。

そして、令和に入って2年、国分寺・たまプラーザの2店舗をオープンし、現在は3店舗24台のベッドを25人の鍼灸師で運営しています。北海道や沖縄、ハワイ、果てはヨーロッパまで日本全国、世界中からも患者が訪れる日本一の鍼灸専門院となりました。

説明ができない鍼灸師は患者を救えない

鍼

ある患者さんは、ありふれた症状である四十肩・五十肩で千葉から通っておられます。その方は整形外科や近くの治療院に行っても全然良くならないと、わざわざ町田まで来て治療を受けられています。ずっと痛みで寝られなかったのに、1回の治療でしっかりと寝られるようになったそうで、それから定期的に治療を行っています。

先日も大阪から来院されて、治療が終わったら大阪へとんぼ返りをした方もいました。運営する鍼灸院を増やさなければ対応できないほど多くの患者に来院いただくようになると、本当に遠いところから通う患者も増えました。

新しい拠点を構えたら、藁にもすがる思いの患者がやってきましたし、ありとあらゆる症状の方がいました。つまり、私が鍼灸院を作るまで、患者たちは苦しみ続けていたということです。場所を変えても同じ症状で悩む方が大勢いて、症状に効果のある治療を受けられない現状は大きな問題でしょう。

また、東洋医学の説明が難しいのは承知の上ですが、説明が苦手な鍼灸師が多いようです。説明が間違っているわけではなく、患者が納得できる説明をできていない先生が一定数いるようです。

「前の治療院で気が虚しているって言われたんですけど……」と来院された患者がいました。歯切れの悪い言葉に、俯き加減の姿勢で話をされているので、説明に納得がいっていないことがすぐにわかりました。

鍼灸師が患者に説明をするとき、「気が虚している」だけではだめです。「腎虚ですよ」だけでも言葉が難しすぎます。「冷えてますね」や「自律神経が乱れてますね」というのも適切ではありません。

鍼灸治療で大切なのは、症状を治療しつつ根本原因を取り除くことです。患者の症状が、他の治療院や病院でなぜ治らなかったのかを的確に説明できないと東洋医学の凄さを理解してもらえません。そこまで説明できて、やっと「ああそうだったんだ」と納得していただけるのです。

鍼灸院に来られる患者のためにも

鍼灸院に訪れる人は、慢性症状を抱えている人の割合が高く、生活習慣や体の癖が積み重なって症状が生じています。そのため、1回、2回で治らない人が多く、継続してようやく変化を感じる人がたくさんいます。

同じ鍼灸師が対応しなければ、患者の変化の機微がわかりません。よくなってきていても慢性症状に慣れてしまった患者だと変化に気がつかないことがあります。体感で良くなったと感じられず、効果がないと判断されてしまうのは鍼灸の難しいところです。

だからこそ、患者のためにも症状の根本的な原因や、症状が出るまでの経緯、治療によって狙う効果、継続的に治療をする場合は前回と比較してどのような変化があったかも説明できるようにしたいところです。

治せる鍼灸師を増やすべく「志鍼塾」を設立

志鍼塾

日々、自分の鍼灸院で患者を治療するうちに、世の中には病院で症状が改善しない患者がとても多く、諦め半分で来院いただく方が大勢いる現状をまざまざと見せつけられました。「別の鍼灸院に行ってきたんですけど全然良くならなくて…」と、来院いただく方もいます。

それにもかかわらず、私の治療ですぐに治る方がいるわけです。他の鍼灸院の先生がどのような治療をしているのかは定かではありませんが、少なくとも患者の本当の原因にアプローチができていない鍼灸院が存在しているのです。

日本全国の規模で考えると、潜在的な患者は相当数にのぼると容易に想像がつきます。そこで、私はそうした人たちが効果のある鍼灸治療を受けられる環境を整えようと日本全国100店舗を目指しました。

「本当の原因にアプローチできる鍼灸院がないなら作ればいい」と意気込むぐらい、本当に日本の鍼灸を変えたいと動き出しましたが、すぐに人の問題にぶつかりました。100店舗を運営するのであれば、少なくとも200〜400人の優秀な鍼灸師が必要です。

しかも、その鍼灸師たちは治療技術を学ぶ意欲があって、私の志を伝えて賛同してくれる人でなければなりません。そんな人を200〜400人集めるには5000人程度のスカウティングが必要です。
これは現実的に不可能でした。そして、「志鍼塾」の設立に思い至りました。

志鍼塾が目指す場所

塾長である私は今40代半ばなので、あと30年間かけて鍼灸の真髄というか効果のある治療を患者に施せる鍼灸師の先生を「志鍼塾」から輩出し、日本全国で「治る鍼灸」を提供できる環境を作り、社会的な地位を獲得した東洋医学が医療の一翼を担う状態を目指します。

今現在、他の鍼灸院で治らなかった症状を私が治すことができるのは、アプローチが優れている治療体系を確立したからだと考えています。まずは、鍼灸科の学生が「志鍼塾」の治療で患者の症状を治せるレベルにし、鍼灸師の先生にはより効果のある治療のエッセンスとして「知識」と「技術」を提供していきます。こうした継続的な取り組みの結果、「志鍼塾」を通して日本全国の鍼灸師が患者の悩みを解決できるネットワークを作りたいと考えています。

おわりに

東洋医学の地位を向上させ、日本のどこであっても質の高い治療を受けられる環境を作り上げるのは難しいと思われますが、患者を救うためには立ち向かわなければなりません。そのためには私が築いてきた治療体系のエッセンスを惜しみなく提供し、鍼灸師として成功してもらうことが第一歩だと考えています。

また、日本全国から問い合わせあるため、同じような考え方・マインドを持っていて、同じような治療法をしてくれる先生のほうが私も安心して任せられますし、ゆくゆくは「志鍼塾」の治療院のネットワークを作成したいと思います。

私の人生は振り返るとトライ&エラーの連続で、ハングリー精神を持って貪欲に挑戦してきた経緯があります。鍼灸院の店長を目指すスタッフ、独立を目指す先生、技術を求めている鍼灸学生など、できることなら私と同じくハングリー精神の持ち主と一緒に東洋医学を広げていきたいと考えています。

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